今回もお店のことは関係ないです。
読みたい方だけで
感謝は大切
「ありがとう」と伝えることは大事なこと
それは誰から見てもそれはそうなんだけどさ。
感謝を原動力に動いている人たちが世の中にはいる
自分が知る社長さんでもうすぐ100歳になり身体の自由があまりきかないし耳も遠い。
でも未だに会社に勤めている。しかも楽しそうなんだ。
僕がなぜ仕事しているのかと尋ねると「感謝しかない、やってもらったことに応えるだけ」と言います。
感謝する気持ちだけでここまでやれるのかと僕はいつもびっくりさせてもらってます。
でもみんな少なからずいろんなことに感謝していると思うし大切なのはみんなわかっている
でも原動力にできる人とそうではない人の差ってなにか。
もし、自分の愛する家族、恋人に自分の声で「愛している」という思いを伝えられたらどんなに嬉しいことか、おしっこが出たというだけで涙が出るというだけで涙が溢れる。こんなに幸せなことはない、周りを見ると、感謝することだらけ
~三輪明宏~ 引用
三輪さんの言葉がちらっと目に入ったので引用させてもらいました。別に三輪さんが好きなわけではありません。
ただ「感謝することだらけ」という言葉の裏にはどういう背景があるのか
ここからは僕の思考を巡らせて書いてます。
三輪さんはきっと苦労されているのだと思います。
本当に愛した人を亡くした経験があるから、身体を壊して自分の思ったように身体が動かなく不自由な生活を余儀なくされた経験があるから、普段の生活や伝える人がいることに感謝ができる。そして、自分は生かされているという感覚が入っているから「感謝することだらけ」という言葉になるんだと思います。
普通に結婚して體が健康なまま生きている人からはなかなか出てくる言葉ではない。
僕のような昭和の末期に生まれている人たちは戦争も経験してないしバブルを経験している世代が親に当たるわけだし、何よりネットが普及しなんでもほしい時に情報も取得できれば自由に行動ができる世の中。
その中で苦労が外から自分に向かってやってきている人ってごくわずかなんじゃないかな。
僕ら世代が感謝を原動力に生きる境地を獲得しようと思うと「挑戦」することなんじゃないかな。
やってみないとわからない、どう考えても正解がでてこないそんな中に飛び込み、苦労して世の中の厳しさを知って、その中で助けてくれる人と出会ったり、懸命に生きて今までの人生どれだけ守られてたのかという経験を自分の深いところで起こす。
そうすると現在進行形で生かされている感触が出てきて感謝が原動力に懸命に今を生きられるようになるんじゃないかな。
生ぬるくテレビ見てネットフリックス見て思考を止めて生きる生活は来世でいいかな。笑